kei_madou’s blog

双極性障害の闘病日記です

軽躁の日々3

転職する事に決まった。

退職届を出すと、元会社の上層部は慌てて私を引き止めてくれた。前の部署に戻すから考え直してくれないか?と1時間半くらい説得されたものの、軽躁で前しか見てない私にはこれから先のステージでの未来しか興味は無かった。

多くの人が退職を惜しんでくれた。新卒で入った私は割とかわいがられていた。惜しいことをしたと思う。だが、退職を惜しんでくれる人がいる自分の次の未来はきっと明るいと当時私は考えていた。

私は何も考えることなく、あっさりと退職し、そしてあの忌まわしい場所へと向かったのだった。

 

先に言っておくが、転職先の会社はブラックではない。決して悪い人がいるわけでもなく、上長や先輩は親切である。なのにどうして、この場所に来てからあんなことが起こったのか。未だに何故と言う疑問符は頭から離れない。答えの出ない問いである。それでも最初は順調だった。なぜならあの頃はまだ軽躁の魔法が解けていなかったからである。

 

新しい会社は、都内の西側に位置する。23区外である。前の会社は都心のまさに一等地だった。ラッシュから解放された通勤は新鮮であった。

会社が変われば人も変わる。会社ごとに社風というものがある。はじめての転職でそれを思い知った。どことなくよそよそしい人、暗い人、挨拶してくれない人、そのくせに何故かまるで学校のような…形成されたグループ感がある。正直にいうと、困惑があった。だが、きっとそういうものだ。そういうものなんだろう。

私は引き抜いてくれた先輩の元で仕事を始めた。当時の私は新しいことへの吸収願望が強かった。仕事はとりあえず真面目にやった。

昼休みになると、近所の公園に1人行き、ブランコを思い切り漕いだ。全力でブランコを漕ぐ大人にベンチに座るオジサンも困惑気味だったが気にしなかった。あとは、何故か通勤中に買ったシャボン玉を吹いたりしていた。これにはさすがの先輩も困惑した。

 

それはそうと、仕事をしながらも通院は続けていた。

当時の担当医はコウノドリをやっていたときの坂口健太郎(コウノドリの主演は実際は綾野剛である)みたいな若い男だった。

私はそこで最近自分が散財気味であると口にした。それがおかしいというくらいの理性は残っていたのである。ただし、朝方歌って踊っていることは疑問視していなかったので、喋らなかった。

とはいえ、担当医は私の異常に気づいたようであった。彼は私が双極性障害ではないかと言った。私はレクサプロのせいではないか?と言った。レクサプロを飲んで以降こうなのだ。原因は抗うつ剤の副作用かもしれないと思ったのだ。だが、医者は言った。そもそも双極性障害の素質がある人間以外、抗うつ剤躁転は基本しないものだと。

これには返す言葉がなかった。担当医は気分安定薬を追加した。最初に出されたのは何だっただろうか…。ラミクタールかリーマスか。ラミクタールがとにかく不味いことしか覚えていない。

 

私は双極性障害という、わけのわからない病名をつけられ、少し落ち込んで病院を後にした。

なんだか楽しい気持ちが少し薄れていくようだった。いや、少し前から予兆はあったのだ。魔法が切れかかるような、心に暗雲がたちこめていくような。

双極性障害Ⅱ型の躁は短いと言う。

私の夢も終わりに近づいていた。