kei_madou’s blog

双極性障害の闘病日記です

軽躁の日々1

あの頃は夢のようだった。

朝はいつも早朝に目覚めた。当時の私の日課は起きると共にクライスラーの自作自演集のCDをかけ、あの軽快でハッピーな音楽を聴きながら、ひたすらに部屋を片付けたり、切花の手入れをすることだった。クラシックを聴きながら生花用のハサミで丁寧に古い茎を切り、花瓶に水をやり生ける。実に人間らしい暮らしをしている気がした。

家族が起きだすとあほみたいに掃除をしまくりながらとにかく喋りまくった。当然家族は困惑していたが、直接的にお前変とかいうわけではなかった。やんわりとお喋りだねなどと言われるくらいだったため、悲しいかな軽躁の私には真意が届くはずは無かった。

 

友人にSという人間がいる。

Sとは幼稚園児からの付き合いである。幼馴染と言っていい。Sとは小学生中学校と高校で離れるまで一緒だった。小学生の馬鹿餓鬼だった頃は悪友のようでもあり、コンビに近かった。社会人となった今も一応交流は続いている。Sとは互いの誕生日と年によっては気まぐれに何回か共に過ごした。

そんなSから夜の散歩に行こうとの誘いがあった。曰く、コロナで運動不足だから近所の河川を散歩する事にハマっているのだと。私はすぐにOKした。

 

私たちの地元には、とある一級河川が流れている。この川は地元で育った私たちには馴染み深い場所だった。川沿いをずっと歩くと、大きな公園に着く。片道1時間半くらいだろうか。小学生の頃は毎年遠足でまさにこの道を歩かされ、到着地点の公園で遊んだものだ。

夕方に出発し、Sとともに道を歩いた。

私はこの頃、知り合いのツテで引き抜き転職の交渉中であった。給料上がるよという先輩の口車にまんまと乗せられ、頭も真面目に働いていなかったから、そりゃイイっすね!とやる気に満ち満ちていた。その話をSにするとSは素直に良かったじゃないと言った。Sは私が営業部に移動して苦悩していたことを知っていたから、前と同じ仕事ができる転職に素直に安心してくれたのだろう。

取り止めもない話をしながら、我々はやがて思い出の公園へ辿り着いた。着いた頃にはすっかり日は沈み夜の帳が下りていた。

アスレチックの方に行こうよ!

私はそう言った…だろうか。Sは頷いてくれた。私たちは歩いてアスレチックがある方へ向かった。当然誰もいない。子供に帰った気がして私ははしゃいだ。Sも一緒に遊んでくれたと思う。確かそのはずだ。

私は気分が良くなって、Sにペラペラと自分のことを話した。心療内科に行ったこと、レクサプロという薬を飲んだら、すごく気持ちが楽になったこと、過去の嫌なことも忘れられたこと。

自分は本当の自分を取り戻した。自分はいま幸福だ。

私は笑ってそう言った。Sは良かったなと笑っていた。Sと2人誰もいない夜の公園を歩くのは心地良かった。欲しいもの、すべてがここにある気さえした。

 

帰り道、Sは私にまた散歩に行こうと言った。

私はもちろんと答え、別れ道でSに手を振った。私は次の夜の散歩を楽しみに帰路に着いた。

そしてこの約束は、それ以降果たされることはなかった。